NICOとスピッツと私と

NICOが先か、Spitzが先か。

Future Dance Tour 01〜04

「なんだ、元気そうじゃねーか大阪!

心配しちまったよ!」


シンペイさんのこの一言で、

熱と緊張感で破裂しそうだった会場が

一斉に深呼吸をする。

新鮮な空気を手に入れてステージに

再び目をやると

明るく、優しい顔をした4人の姿。

ストレイテナー

なんてかっこよくてずるいのか。

地球を救いに来たヒーローかと思った。



時間を少し戻して、

開演前のアナウンスを思い返す。

「先日発生した

大阪府北部を震源とする地震に伴い、

アナウンスさせていただきます。

本公演中に・・・」


暗転を待つのみとなった会場の空気が

一瞬ピリッとする。

あっという間に日常に戻っても、

あの時感じた危機感は

誰しもが共有しているのだと思った。



ステージには真っ白の布が下されていて、

オープニングへのただならぬ期待が

胸の中でもはためく。

ほんのひと時、

この瞬間以外のことは忘れましょう。



定刻。そして暗転。



01Future Dance


幕の向こうで、

4人の影だけが映っては消える。

1人ずつ、2人ずつ、4人と幻想的に。

想像するに容易い4人の姿を

早くこの網膜に映したいじれったさと、

幕が下りたら始まってしまう

もどかしさで何度も手を握りなおす。

サビに差し掛かり、

その隔たりが一瞬にして消える。

「今ここがいつどこかなんて」

どうでもいいや。

ストレイテナーと客席の

「間にはもう何も」ない。

踊り明かす準備ができた。



02Alternative Dancer


続けてきたか、

ああ、やっぱり憎らしい。

シンペイさんのドラムが花火の様に

激しく、特徴的なメロディラインを

担うホリエさんの鍵盤のそばで、

OJが細やかなカッティングをする。

彼のギターを弾く様は、

どうしてあんなに繊細なのだろうか。

細かい糸を織るようにして

物語の輪郭を描いてく感じ。

ファッション無頓着。

なんなら見た目全然小奇麗じゃない。

のに、ずっと見ていたいくらい

カッコイイと思わせる不思議。



03DSCGRPHY(DECADE DISCO MIX

後ろから人が流れ込んできたことに

数秒気づかず

気づけばとっさに柵を掴んでいた。

ほんと危ない。

サッカーだったらレッドカード。

体制を立て直して、

一気に密度を増したステージ前を見る。

私、Lightiningの次に

DISCOGRAPHYが好きなんです。

でも今回アレンジされた

DECADE DISC MIX

そこまで聞き込んではいなかった。

ところが、なんだろうかこの近未来感。

Future Danceから

Alternative Dancerときて、

ここにこの曲がこのアレンジで

無かったとしたら何が正解なのか。

しっくりきすぎて全面降伏。

この為のDISCO MIXかと思う程。

好き!という思いのままに踊れば、

すぐに終わりが来て。

I SING IT OUT SHOUT IT OUT 

PLAY MY GUITER

というフレーズをホリエさんと

一緒に口ずさみ(声は出さない)

最後はOJが最後の一音を弾いた手が

空中で止まるのを見る。

ああ美しい所作。

もう何かの家元になってほしい。

始まって3曲。

バケモンかこの人たちは。

私のチープなストッパーは

いとも簡単に壊れた。



04Superman Song

「I wanna be your Superman(僕は君のスーパーマンになりたいんだ)」

いや、もう十分スーパーマンです。

いいえ何ならさっきバケモノって言いました。

冒頭3曲、世界観たっぷりに始まったので

雰囲気としては少し変化を感じる曲調ではあれど、

言っていることは同じ。

Dance dance dancing your way .

Singing something stupid

ってところがとっても好き。

いつのまにか楽しく愚かに両手を挙げて

誰でもない自分の体で感じる興奮。

これだからライブってやめられないよな。






05〜は書けたら書きます。

OJの話しかしないと思うけど笑


Future Soundtrackとは、時を超えてプロローグとエピローグを繰り返す、実験的なアルバムである。

 

Future Soundtrack(初回限定盤)(DVD付)

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勢いで書いたので、時の流れとはなんなのか。きみの正体はなんなのか。を解明するようなものにはなってないけど。あくまで私のファーストインプレッションだけを落とし込んだ雑文。

「きみ」が「愛する人」だけでなく、もっと多くの意味を持っていることは分かっている。

でも「愛する人」で話を進めないとたった一回通して聞くという事が困難を極めそうだったのでそこに絞りました。

 

 

 

 

 

Future Dancer

ジュワッと無音の奥から湧き上がってくる、近未来感あるイントロ。

宇宙船のライトが点滅しているかのようなSF感の上で唯一“生”を感じさせるボーカル・ホリエアツシの声。過去と未来の間なのか、それが果たして今を指すのか。軸を捉えることに気を取られていると、このスローモーションの世界に置いて行かれそう。サビ前、ホリエさんの声と交わるOJのギターは、サーチライトの様に世界を照らすけど、どこか物悲しくて。20年という時間の上に立った四人の後ろ姿が見えるような。それぞれの衣服が風に靡いている。表情は見えてこないが、きっと笑っているのだろう。いや、笑い飛ばそうとしているのかもしれない。このアルバムと、未来への幕開けに。

―――踊り明かそう 訪れる明日へ

 

タイムリープ

しかし、過去には戻れない、と歌ったはずの1曲目に続いて「タイムリープ」とは。踊り明かしていた(Future Dancer)はずなのに、夜眠って朝目覚めるだけの平凡な世界に突然放り込まれて呆然としてしまったのは私だけでしょうか。同じ瞬間は二度と来ないことを悟ったばっかりじゃないかホリエアツシ。どうした。ここで歌いだしのメロディを思い出す。ひなっちのベースがすごいから、という前評判。なるほど。眠気を覚ますように叩かれて、アンニュイな世界に沈みかけた瞳に光を戻してくれる。新しい街には~の所のコーラスが美しい。サビのドラムが強く鳴れば鳴る程、自問自答が加速するような。変えられない、繰り返すだけ。そして私はハッとする。Future Dancerのあの物悲しさの正体と、曲順の効果を思い知って。

―――ずっと前から知っていたのに

       あのとき気づけなかったんだ

 

After Season

シンペイさんのドラムが先導する疾走感がそうさせるのか、二人時代のような曲だ。ひなっちもOJも確かにそこにいるのに、ホリエさんとシンペイさんが向かい合って演奏している映像が浮かぶ。決して二人の友情がどうみたいな、ファン受けを狙った曲だとかそういうことが言いたいわけじゃない。でも、私は二人にしか分からない時期(season)を思ってしまったのです。最後の「season after season」を後ろで繰り返しているところなんて、二人が笑っているようにさえ思えるのです。これも一つの過去であり、また未来でもありますよね。

―――不確かな希望は言葉にできないまま

          散って 飛んで 行くんだ

 

 

Boy Friend

COLD DISCの流れを汲んだポップさ、「拒否してきたけどやっぱり俺たちはJ-POPだ」とゴッチとの対談での言葉が反芻してくるような歌詞だと思う。だけど「暗い」ではなくて「昏い」を使ってニュアンスを出してくるところが一筋縄ではいかせないホリエさんのインテリジェンスなところだと思っている。このアルバムはここまでの間ずっと「きみ」と「ぼく」との間には越えられないし変えられない時間(時空?)の問題があったけれど初めてここでそれが崩れる。そしてまた新しく意味を持たせる。せっかく清々しく歩き出せそうなのに、酔ったことを理由にしようとしている所が愛くるしくて憎いです。

―――めずらしく酔った帰り道は

    重い方の荷物をぼくが持ってあげるから

          空いた手をそっと繋いで歩こう

 

灯り

ハウステンボスに行きたくなりすぎるので割愛。

(嘘です。このアルバム内で世界観として逸脱はしていないけれど番外編だと思うので)

 

もうすぐきみの名前を呼ぶ

一番気になっていた曲です。ホリエアツシは「名前」というワードを多用するから。恐らく、彼にとって「名前」を知ったり、呼んだりすることは「愛してる」を言うに等しいことなのだと思う。だとしたらこんな堂々としたタイトル、どんなラブソングなのだろうかと。最初に聞いた感触は、とっても混乱を覚えた。「時の流れの外にいるきみ」とは?さっきやっと手繋いだじゃないか。でも落ち着いて聞いてみるとわかりました。一番では「昨日までとは違う1日」を、最後は「昨日までとは違う毎日」を歌っている。「きみ」と「ぼく」はちゃんと一緒にいた。よかった、前に進んでいるようです。ライブで聞くときはきっと、ドラムの音がより大きく聞こえるだろうから、その辺の違いが楽しみ。

―――美しい言葉を見つけ出すだろう

 

The Future Is Now

ここにきてやっと、ちぐはぐに現れてループしては「ぼく」を悩ませていた過去・現在・未来が正しく美しい時間軸に並ぶんじゃないかと思う。どうしようもできない概念に苦しんだけれど、理解し受け入れて初めて「ぼく」の世界に作用する。「エピローグに書き残した文が次への前書きになる」って歌詞凄くないですか?後書きがプロローグになるって?それって「過去も変えてく未来」じゃないですか?ここに至るまでの6曲がもしこれまでのストレイテナーのエピローグで、7曲目を挟んだ瞬間にこれからのストレイテナーの「プロローグ」になっているとしたら、それはこのアルバムの象徴的瞬間。全体に仕掛けられた過去・現在・未来は一年後も十年後も褪せることなく繰り返すのだ。なんてことだろう。変わらない名作はあるが、これは変化に寄り添っていく名作だ。実験的な要素もあるかもしれないけれど、すごいエネルギーを持っていると思う。興奮が収まらないです。

―――過去を変えてく未来を 

      いつかきっと分かるんだ

            その未来は今なんだ

 

Superman Song

難しい話は一旦終わりにして、楽しもう。概念で凝り固まった頭と体と心を解すやり方は人それぞれ。そんな開放感とコンパクトなサイズ感にまとまったいい曲。何も考えなくていい。今はこのエピローグでありプロローグである瞬間を楽しもう。

―――Singing something stupid.

         Because we are young tonight.

 

Last Stargazer

天文学的な人を指すよりも、夢想家的なニュアンスなのかな。僕の戯言を聞いておくれよ、という具合に。忘れてはならないのは、「Last」だという事。やっと「きみ」との時間を手に入れた。もう、きみの名前だって呼べるし、一緒に踊れるし、何より同じ時の上に立っている。さっきは「君のスーパーマンになりたい」なんて言っていたけれど。最後の戯言を終えたら、後は「I swear I’ll love you forever and ever」なのでしょう。

―――Every moment seems like an eternity.

            Just wanna have you here.

 

月に読む手紙

「同じ時が流れてるのさ」と歌っているので、ここで立ちはだかるのは物理的な距離。それを埋められるのが言葉や思いだとしたら、と考えさせられる。なんせもう「叫びたい」らしいので。ただ「さよなら いつか分かるときがくる」がどこに掛かってるかを解釈しきれなくなる。曲単体でみればそんなに引っかからないんだけど。ただ私としては、丸く収まりかけたところに少しの不穏さを残すのもアリ。もしかしたら結局、すべてを理解して、手に入れても、また「タイムリープ」してしまう運命なのかもしれないし。でも今が愛おしければいいと思います。

―――それでもいつか傷は癒えるだろう

               忘れてもいいよ

 

Our Land

物語の輪郭を描き出すベースラインがエロい。あえて歌詞も少ないんだろうけど、言葉足らずであればあるほど、OJがそれを補うように本領を発揮していてバランスが絶妙。一瞬で終わったように思ったが、意外と4分00秒もある。完全に聞き手に物語を委ねているかと思うほどの余白。やはり「きみ」と「ぼく」が同じ時を生きられるのには制約があるのだろうか。「きっと何処かで待ってて」が切ない。「きみ」と「ぼく」にとって「未来」は、Our Landにたどり着くことなのかもしれないけれど、たどり着けないから互いをより愛おしく思うのかもしれません。

―――アイシテ ウマレテ ハジメテ カナシイ

 

 

 

 

Future Soundtrackとは、時を超えてプロローグとエピローグを繰り返す、実験的なアルバムではないかと思う。一度再生ボタンを押して、このアルバムを知った瞬間から、必ず来る未来へ作用し続けるサウンドトラックなのだと思います。

 

以上。

音楽文

ongakubun.com

レディクレでのimage trainingのことを

しっかり書き残しておきたくなりました。

 

ブログに書いてもよかったし、Twitterに垂れ流してもよかったんだけど

いつまでもいつまでも残るように

自分の手の離れたところに置いておきたいと思って

音楽文に投稿することにしました。

 

思い立ったのが多分、1/1の23:00くらいだったか。

スマホのメモ帳に一気に書いて、

翌日読み返して修正して、その日の内に投稿した。

勢いすぎたと思うけど、掲載されることを狙ってるかと

自問したときそれはなんか違う気もしてきて。

どういう基準で評価されたのかはあんまりよく分かっていないけど

勢いで書いたおかげで鮮度だけはあったのかな・・・笑

あとはへたっぴ。あの後書き直したいところいっぱい見つけた。 

 

基本的に言いたいことはブログとかtwitter

ひっそりこっそりやっているので 

多分、この先もう音楽文に投稿することはないだろう。

いい思い出になったし、あの日の記録が残せてうれしい。

いつか私がtwitterやこのブログを辞めてしまう日が来ても、

音楽文が消滅しない限りは存在し続けてくれる。

ありがたい。

 

いいステージ、アクトは必ず歴史になる。

歴史は、紡いで残して伝聞されていくものであってほしい。

 

あとがき

どっかで一回くらい突っ込まれたり、

怒られたりするかなと心配していましたが

最後までそこはかとなく緩く続けられてよかったです。


2004年に結成、2007年メジャーデビュー。

以来、彼らが不器用に四人五脚で生み出してきた曲は

私の人生の道しるべであり、私自身を投影する物語でした。

 

はりぼての翼や、浪漫飛行船や、時には命綱だけのバンジージャンプ

新しいものから初期のものまでその世界を振り返っていると

NICOの描く世界がどんどんリアルになっていった事に気づきます。

 

プレイヤや行方、image trainingは、幻想だったり空想だったりイメージの世界でした。

夢の中は居心地がいい。涙が出るほどの悪夢であっても、現実ではない。

いつまでもそのユートピアにいることだってできたはずなのに、

NICO Touches the Wallsはそこを飛び出した。

準備オーライ、任してちょうだい。と親指を立てて見せながら。

改めて思い返す。

少年たちが旅に出た理由は、Edenを探すためなのだと。

 

10年かけてその園へ辿りつく直前で、彼らはもう一度自分自身と対峙しました。

少年の向こうへ、いびつな存在へと変わってく自分たちにとって

何が必要で何が無駄なのか。己を再解釈するために。

夜の果てに置いてきた己を迎えに行くために。

 

はりぼての翼や、浪漫飛行船や、黄金の剣は今はもういらないのかもしれない。

時には命綱だけで飛んだバンジージャンプも、今ならもっと賢くやるのかもしれない。

ずっと感情移入してきた私からすると、少しさみしいです。

 

この10年で手に入れた武器を一度脱ぎ捨てて、それでも彼らは高らかに言うのです。

「正解はなくても戦うだけなのさ」

 

そして、たどり着いたばかりの一つ目のEdenを後にする。

 

ギター、ベース、ドラム以外に持ってきたものはほとんど置いてきたのかもしれない。

間違いないのは、勝者の歌声と揺るがない自信を手に入れたこと。

 

そして時々は思い出すのかもしれません。

風に乗ったことや空を飛んだこと。

 

今度はどんな方法で先に進もうか。

楽しそうに作戦会議をする背中がそこにはあります。

まだまだ旅を続けてほしい。

 

そして、ここまで連れてきてくれた彼らに

私からもひとつ約束しよう。

あなた達が何を「信頼します」と言ったのか分からないけれど。

 

明日あなた達が消えたとして、

私はあなたたちを絶対に想うと。


夜の数だけ日は昇るから、

いろんな場所で、いろんな日の出を見せてほしい。

 

 

こうしてまた、私の人生に彼らの音楽を重ねていくのである。

彼らの旅は続く。

 

「さあ響け。声を高らかに。この歌声が君に届くまで」

「さあGinger。滲まない想いを歌ってみるから」



@

ロックロックこんにちは 2017/11/29

毎年恒例、スピッツ主催の

ロックロックこんにちは!は、

今年は冬イベントとなりました。

今年も周りの人の助けを受けて、

ロックロック2日とも参加することができました。

本当にありがとう家族友人後輩。

 

30☆50が夏~秋のツアーになったので

後ろ倒しになったロックロック。(ほそ道も新木場も)

「やらないと思ったでしょ?

意地でもやりますからね、ロックロックは」

とマサムネさんが言ってくれたの嬉しかったな~。

 

二日行ったものの、取り急ぎ書き留めたいのは

ストレイテナースピッツのことなので

主に1日目のことを。

 

以下、ネタバレ扱いにしております。

ご注意ください。

 

 

 

続きを読む

 昨日、Zepp Nambaで起こったことを。

 とりとめなく書くので、纏まりはありません!!


ネタバレを含むのでご注意下さい。












 

2017/11/29 ロックロックこんにちは!1日目

スピッツは「歩き出せ、クローバー」を

演奏しました。

私がスピッツのファンであると同時に

NICO Touches the Wallsファンである以上、

これは大事件です。

 

 

1曲目「死神の岬」ショックから

何とか現実世界に舞い戻ってきたころ、

マサムネさんがアコギを

グレッチ(みなとのやつ)に持ち替えていた。

空も飛べるはずとか歌うのかな?と思って見ていて。

4曲目の演奏が始まった瞬間、

いちえちゃんと抱き合って手をつないでいました。

空気の最後の振動が止まるまで。

 

 

あ、最初に言っておきますがこのお話長いです。

 

 

スピッツの「歩き出せ、クローバー」は、

名盤中の名盤「ハチミツ」に収録されている曲。

 

優しく、柔らかく、でも強く逞しく、

そして儚い歌です。

マサムネさんのアコギと、

テッちゃんの優しいアルペジオ

ゆったりとしたリズムで

クローバーの草原の中を進んでいくような。

でも「戦車」「削り取られていく命」

「混沌の色」「消えかけたケモノの道」

など、穏やかでない言葉も出てくる。


映画「フォレストガンプ」のような曲と

マサムネさんが言っていたな。

 

2015年の12月のこと。

「ハチミツ」は20周年を記念して

トリビュートアルバムをリリースすると

発表されました。

この日の事は生涯忘れることはないでしょう。

なぜなら、そのアーティストの中には

我らがNICO Touches the Wallsの名前が

あったからです。

↓のリンクからコメントも見てやってください。

http://sp.universal-music.co.jp/compi/hachimitsu20/

(愛ゆえに取り留めのないコメントに

なるところが愛しい)

 

 

ボーカル光村龍哉は小学校3年生の時、

ロビンソンに衝撃を受けて曲を作り始めました。

ロビンソンがなければ、

を作ろうなんて思わなかったかもしれない、

と彼は言っています。

「何度乗っても気持ちいいな、この風は」

https://ameblo.jp/nico-touchesthewalls/entry-10412219454.html

これ名言ね。


 

バンドを始めた頃から、

8823」や「水色の街」を

カバーしていた彼らですが、

トリビュートアルバムに呼んでもらえるだなんて。

 

そしてその楽曲こそ

「歩き出せ、クローバー」なのです。

(自分たちで候補を出したと言われていますが

他の候補めっちゃ気になる)

 

NICOは、原曲よりテンポを上げて、

ギターソロのアルペジオ

煌びやかなものよりも力強く

感情的なものに変えました。

そしてそこにコーラスをマシマシに

盛り込んだのです。

 

トリビュートの中には、

エレキでブイブイやっちゃったり、

暗くなりすぎちゃったりして

世界が変わってしまったカバーもありましたけど

普通はそうなっちゃうと思うんですよ。

だってスピッツですよ。

あのみずみずしさに正面から勝負したって

個性が負けるか曲が死ぬかだって

思うのは当然だと思うんです。

 

だからスピッツファンとしても、

NICOファンとしても、

再生ボタンを押すまでは

喜びと不安の渦の中でした。

 

みっちゃんの「uh~」というハミングと

アコギで始まるクローバー。

彼らは、大好きなスピッツに対して、

スピッツの個性である「アコギ」と

強みである「コーラスワーク」を使って

真向からアレンジしたのです。

 

大きく変えず、でもコピーではない

絶妙なバランスでアレンジされた

「歩き出せ、クローバー」は

201771日、ロックロック20周年の二日目

スピッツ本人の前で演奏されました。

後にも先にも、

NICOがクローバーをやったのは

今のところこの日だけです。

 

そしてそれを見ていたマサムネさんから

NICOの方がいいんじゃない

NICOにあげるためにこの曲を書いた気がする。」

というこれ以上ない評価を得ることになります。

(それを最前列で見ていた私は

人生最高の時を迎えていた)

 

あれから1年後のロックロックで、

スピッツは「歩き出せ、クローバー」を

やってくれました。

(噂によると12年ぶりだとか)

 

そしてその歩き出せ、クローバーは、

原曲を変えないというポリシーを

貫くスピッツには珍しく

若干のアレンジがされていました。

 

マサムネさんがアコギではなく

エレキを持ったこと。

テンポを少し上げたこと。

コーラスを入れたこと。

 

これがどういうことか、

本当のことはわからないけど、

私にはNICOスピッツ

本気を出させたとしか思えません。

 

1年前には「NICOにあげてもいい」と

言っていたクローバーを、

1年後には本家がアレンジしてやっちゃうんですよ。

NICOにあげるなんて言ったから、

もうやらないの?」って

思われてるならやろうかな。的な。

天邪鬼のバンドだもの、やりかねない。

 

しかもそれについては一切MCで触れない。

「懐かしい曲やってみました」って

理由だったらそう言うと思うんです。

「ちょこっと懐かしい曲やってみました」って。

 

本当に何も言わないから、

本当のことはわからないし、

私の妄想100%かもしれないけど。

 

 

でも私は確かに今、

四葉のクローバーを2本握りしめています。

 

一緒にこのクローバーを

摘み取ることができなかった親愛なる

仲間たちの想像力と、

その愛情に届きますように。

 

そして私自身が決して

この正夢を忘れないように。

 

拝啓、1125 様

慣れない手つきでそっと頭を撫でては

本気を問う君に素直になれない


くらい不器用なんだから

「結成日」とか「デビュー日」とか記念日を

どうこうするような人たちとは思っていないけど、

1125の日というものを作った日から、

その日はどうしたってNICOの日として

意味を持ったのだと思っている。

 

 

始まりは

「語呂がいいじゃん!

なんか面白いことやろうよ!」

みたいな、実験的なところからかもしれないけど、

(バインとの対バンからフェストが派生したように)

 

 

2015年までは、

一度も行けていないことをそこまで気にしてなった。

武道館やカベニミミに行く方が私には大事だった。

 

けど去年、青盤と赤盤の再解釈をすると

みっちゃんがツイートした

あの2016年11月15日

午後11時25分から、

私にとっても11月25日

大きな意味を持つ日になった。

 

そういうことをその日にするほどなんだ、

1125って、と。

 

もし今でも

「なんとなく語呂がいい日だから

思いついたことやっちゃおう」

くらいに思っているなら、

青盤と赤盤の再解釈なんてしないで欲しかった。

でもやったってことは、

過去の自分たちの影や壁と向き合う一戦を

この日に持ってきたってことは、

 

NICOにとっても、この日は

「なんとなく集まって面白いことやろうよ」

以上の意味を持つ日だと思うのです。

 

気持ちが言葉を超えてしまう人たちだから、

それを受け取りたいなら私はライブを見るのみ。