NICOとスピッツと私と

NICOが先か、Spitzが先か。

Wall was/Wall is/Wall'll be


まず初めに、優しく声をかけてくれた皆様本当にありがとうございました。見守ってくれた方々も同様に。

こそこそっと、でも長文を残そうと思います。後悔と反省と辱めとして!

1125/2016どんな1日だったのかまだ知りません。たぶん、人によっては、リベンジ武道館よりも、意義のある夜だったのではないでしょうか。

まだ当日のことを追いかける気持ちになれません。どうしてもズキズキしてしまうので。。。何を演奏して、何を話して、どんな道を示してくれたのか。壁とはなんなのか。壁とは(Wall is)。

Wall is beginning は、私にとって本当にかけがえの無いアルバム。
runova〜だけならここまでは思わなかったかもしれない。

無人島に持っていくなら、の質問にだってWall is beginning と答えていた。

鉢合わせたらサインしてもらおう、と持ち歩いていたのもWalls is beginningだった。

次々と明らかになる内容についに心が折れて、自爆を終わらせるためTwitterもLINEも見るのをやめた。俯瞰で見て不愉快だと思っても、ついつい呟いてしまったから。。

「再解釈ツイート」を見たときからそうすべきだった。反省。でも、なんとか25日までに立ち直って晴れやかに見守りたいという気持ちもあった。

でも拗らせ続けて、優しくしてくれる人や、楽しみにしてる人に気を使わせて甘えてしまうし、口を開けばネガティヴにしかならないし、自分でこの暴れる気持ちを抑え込めない事もすごく情けないと思って余計に腹立たしくて。

嫌われるなあ、私ならこんな奴いや、と思った。私には私の自由に呟く権力があるけど、でももし誰かを嫌な気持ちにさせてたらもっといやだと。行く人を羨ましいと思う気持ちは皆無で、こうなってしまった事がただ悔しかった。

聞き分けが無く、ワガママ言って、喚いてるんだろうなって自分のこと見えてたんだけどコントロールできなくて。私なんでこんなに泣いてんのと笑える時もあったし、笑い飛ばして馬鹿にしてくれと思ったりもしたけど、残念、また次だねってそんな風に片付く話じゃなかった。そんな事で、って言われるかもしれないし確かにそんな事です。

でも私は、NICOに対して素直に愛を吐き出すよりかは、出来れば冷静に見守って行きたいと思うから、スピッツへの愛は垂れ流すくせにNICOには頑固な事を言ったりするけど、私だって好きやって、どうしようも無いくらい好きだし、どうしようもないくらい愛おしくてかっこいいよ。好きよ、好きに決まってるやんか。

情けないくらいに落ち込んで、恥ずかしいくらいに悲しくて、落ちれば落ちるほど私ってばNICOが好きなんだなあって痛感させられて


だって仕事なんだから、平日なんだから仕方ないし、でも元々イイニコには少し不満があって大事なイベントだからこそ不満で
一年も二年も前からその日が何曜日と分かっていても行ける日を選択できるツアーとは違って都合がつけれなければ権利はなくて

こんなことなら、無理してでも仕事休めばよかったとか休みたいって言えばどうにか
なったんじゃないかとかやるだけやってみなかった私が悪いし、仕事終わってから駆けつけて例えラスト30分でも行けば良かったかもしれない。

ガタガタ抜かすな、と自分を叱り、たらればで悲しくなってこんなに悔しいものなのか、何か、抜け落ちてしまうような置いていかれるようななんとも言えない寂しさだけ1日1日大きくなって

アホらしいよなあ、恋人でもない、アイドルでもない、でも10年近く当たり前に寄り添ってきたバンドに食らいついていけなかったことにどうにも折り合いをつけれなくて。

ナイフでも、鈍器でも、思想でもないようなもんで私をグサッと刺してくれ。

私は病気だから、そのナイフでさっさと殺ってくれ。

って思ってたよ。

そんな中で、普段見ない2ちゃんねるを見た。目がさめるかと思って。私と真逆の事で怒ってる人がいた。青盤赤盤やれば喜ぶと思ってて腹立つ、みたいな。チケット取ったけど冷めた的な。それはそれで正しい意見な気がしたし、私より冷静だと思った。そういった人達を責め立てる気にもならなかった。その考えも少し分かると思ったし、そっちにシフトしたいくらいだった。でも私は、青盤赤盤をやれば喜ぶ側の人間すぎた。


9年経つけどでも彼らは私を知らないし、知ってほしいとか覚えてほしいとかそんな事は思わないけど、私みたいになんとも言えない日々を過ごした人が何人も居たんだってことは知っていてくれないかなあ。言われなくても分かってるとは思うんだけど。

NICOのスペースはNICOでしか埋まらないのです。これからスピッツのツアー三連発で、どれだけ浮かれても、スピッツのスペースが溢れるだけで、NICOの穴を埋めてくれるわけじゃないんです。

今回のこと、ケロッと忘れられるならそれでもいいし、忘れられないままでいるのも仕方がないのかなあと思います。

私は、いついかなる時も、これからも、
NICO Touches the Wallsが好きです。
それだけの事をこれだけ拗らせて
ごめんなさい。

嫌な思いした人もいるかもしれない。
私はその人達が妬ましかったわけでは
決してないのです。

1125は毎年仕事が忙しかったり読めなかったりで行けないから、でもこんな事なら無理してでも行けたんじゃないだろうかとか、なんで今でなんで1125なのとか色々とこみ上げてきて。

その気持ちにはまだ、折り合いつけれてない所もあるんですけど、目障りだったなって思ってます。ごめんなさい。

でも、我慢しないで言っていいんだよって言ってくれたフォロワーさんがいて、ブワッと胸が一杯になりました。あの一言が無かったらもっと落ちていっていたような気がします。


NICOを好きになって、もう古株の自覚さえあったのに、こんなにのたうちまわったのは初めてだった。