NICOとスピッツと私と

NICOが先か、Spitzが先か。

“N X A” TOUR -Funny Side-OSAKA FESTIVAL HALL

 

20181023日(日)

 

 

 

NICO Touches the Wallsフェスティバルホールに立つ。

 遂に憧れたこの日が来て、

 ステージに立つのは私だったかなと

思うほどに体中が緊張していた。

 

 

 

1700過ぎ、

 地下道を歩く自分の足音がカツンカツンと響く。

 今日はいつものスニーカーではない。

 足に馴染んだ23区のローファー。

 

 冷たい地下道の風に絡んで揺れているのは、

 今日はグッズのTシャツでもない。

 Funny Side Up風味の古着っぽいのワンピース。

 今日という日はいつもより

少し特別に過ごしたかったし 今日が過去になっても、

あの赤い絨毯が眩しい客席の上に、

 少しでも濃厚にその日に存在してやりたいと思った。

  

 地下道を抜ければ、

 秋の夕暮れとフェスティバルホールコントラスト。

 昨日の夜

 「明日の天気を心配しなくていいことが幸せ」

 と噛み締めたこをと思い返す。

 天候に振り回されてきたこのツアーの

 極々わずかな濁りを回収するかのような空の下、

 固いステップでFunny Sideへと川を渡った。

  

心臓はMAX値の天地ガエシの様に早くて

高鳴れば高鳴るほどに冷たくなる手を握って席に着く。

個人的には何度も来ているはずのホール。

でも感じるのは安らぎではなくて焦燥に近い。

願いが叶うということは一つの終わりでもあるわけで。

息を吐いても吐いても、

私の中で膨らみ切った今日という日への思いで苦しい。

偉大なそのホールで一人定刻を待った。

  

NICO Touches the Walls

フェスティバルホールに立ってほしい。

その願いが叶い続けた、

2間ほどの<TWIST&SHOUTSHOW

 

 正直、フェスティバルホールでは

しばらくライブを見たくない。

スピッツはツアーでよく

フェスティバルホールを使用するけれど、

スピッツであってもちょっと時間を

空けてほしいと思うほど。

それくらい素敵で温かくて強くて

柔らかくて眩しい瞬間の連続だった。

 

OYSTERリリースからNXAツアーの

1年間を掛けてぶっ壊してきた

 NICO Touches the Walls自身の壁、

私達ファン自身の壁を 再構築するための

ホール公演だったんだと思う。

一度壊して、不要な濁りを取り除いて

再度積み上げたことを証明するには

大いに意義のあった30分間のミステリーゾーン

 

終わってから名古屋と比較したら、

その会場ごとに見合った選曲を

してきたのではと思わされる。

ただ名古屋と大阪は

音楽を奏でるのに特化したホールであるという点では

方向性としては同じだったのかな。

でもきっと数日後の幕張は

全く違う性格のものになるのでは?

  

あんなに冷えていた手が、

固まっていた体が変化していく。

 ミステリーゾーンが始まってから

 私の体はどこまでも柔らかくなって、

その音を吸収するようだった。

 無脊椎動物のように捻じれ、

絡まったようにさえ見えた「謎」

 それらは一つ一つ意味を持って伸びた線で、

 意図なく揺れるようなフリをしながらも

 歴史を編み込むように正しく波打った。

 あのイカのミュージックビデオが頭の中で蘇る。

 絡まりそうで絡まらないそれはスリルか、幸福感か。

 

  

何度も同じようなことを言うが、もう一度繰り返す。

 OYSTERリリースからのこの一年間は、

「破壊」から「再生」までを

見せる為のSHOWだったのだと思う。

 Fighting NICOで一度完成を遂げたものを

惜しげもなく壊した。

  

デビューして10年音楽をやってこれた喜びを、

こんな形で表現するバンドがどこにいるんだろう。

あれから1週間経ち、

今でもフェスティバルホールの近くを通る度に思う。

私はNICO Touches the Wallsを好きになって

本当に良かった。

近づいたり離れたりしながら

一緒に11年分歳をとった。

 

NICOと出会った17歳の私から

28歳の私になるまで、

大した功績もないし幸せだったことより

悲しかったことの方が多く感じるけど

NICO Touches the Wallsを好きになった

自分の感性だけは

「おい私!おまえ最高だな!」って

盛大に褒めたたえたい。

 

 

そんな、夢が叶った夜。

嬉しくって会う人会う人に抱き着いて回った。

(そんなに友達いないけど)

わった直後は、言葉で表すのはとても難しい。

始まりも終わりも鮮やかだった

TWIST&SHOUTSHOW

どうしても一人で見たかったライブ。

終わってみれば、

1人では溢れてしまいそうな幸福感を

仲間たちとの抱擁で堰き止める。

気持ちが言葉を超えているから仕方がない。

 

次にフェスティバルホール

NICO Touches the Wallsが立つ時は

これ以上の興奮を必ず届けると、

約束してくれたような気がした。

帰り道はとても肌寒かったけど、

余分な力はすべて溶けだして、

手の冷たさなんてものはどうでもよくなって。

カツンカツンと鳴る足音は

数時間前よりずっと軽快に響いて、

幸せだなとまた地下道を歩いて帰った。

 

 

「サックス奏者だった祖父が立ったステージに立って

音楽でおじいちゃんと繋がることが夢だった。」

 

 

 

夢が叶ってよかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以下、省略部分はネタバレになります。

 

 

 

 

 

 

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夢が叶う夜のうた

Funny Sideが楽しみ、というよりかは、

フェスティバルホールに立つNICOの姿を

見られることがとてもとても、とても嬉しい。

 

この思いは、

オリックス劇場で初めて「夢1号」が

お披露目された時から

少しずつ大きくなっていった気がします。

あの時は就活が終わった直後で、

一般でチケットを取ったので3階席の一番隅の席。

それでも距離を感じなかったのは、

みっちゃんが伸ばした手と、

夢1号のハーモニーの美しさ。

 

この曲は、

場所もアレンジも問わないくらい圧倒的な個性と

世界観の美しさがあるのは承知の上。

だけどやっぱり

フェスティバルホールで聞きたい。

それを決定づけたのは、

スピッツの醒めないツアーで聞いた「ロビンソン」

(その前にもちいものツアーで聞いてるんだけど)

この時のチケットも一般で、3階席。

遠い、けど、なんと美しい。

 

「ロビンソン」自体はもう何度も聞いてきた。

その度に愛が深まったし、

どこで聞いても名曲だった。

でもフェスティバルホールで聞いたそれは、

歪みなく、綻びない歌声とメロディが

私より前で見ている人の体にぶつかっても

その「そよ風」感を失わずに

私の指や頬や首元をするりと抜けていったのです。

 

この日以降、NICO Touches the Walls

フェスティバルホールに立ってほしいと思う

気持ちが一段と強くなったのでした。

 

その思いは消える事なく、

こんな妄想セトリまで考えてしまうほど。

https://twitter.com/mysweet_25/status/838161869881794560?s=21

(頑なにツイッターと連携はさせたくない)

 

 

20181021

とうとう彼らがこのステージに立ってくれる。

ワンマンで。

 

長かったツアーの大千秋楽は幕張でしょう。

おそらく、生まれるドラマや

感動の量では勝てない。

でも私はフェスティバルホールが最終地点。

名古屋にも幕張にもいきません。

 

フェスティバルホールに立つ姿を見られる。

夢1号を歌ってくれるかどうかは分からないけど、

もしセットリストに入っていなかったとしても

それはそれで構いません。

 

どんな願いだって叶えたんだから。

連れてきてくれてありがとう。

 

私の夢が叶う夜を大切にしたいだけ。

誰にも邪魔されたくない。

どうか。

 

星一つ浮かばない夜でも、

月を数える夜でも、

羊を数える夜でも、

眠れない夜でもいい。

 

今実現できる限りの夢を、

そのステージで叶える瞬間を楽しみにしています。

2018/09/24 Zepp Namba ゴースカ

がっつりネタバレをしてますので

ご注意ください。

 

 

 

今回ゴースカに行って思ったのは、

「昔の曲ほどマサムネさんの声は綺麗に出る」

ということ。

 

キャリアを積んでいくとどうしても、

昔の通りに歌えなかったり

キーを下げたり声が掠れたり

しやすくなると思うんです。

誤魔化すつもりはなくても、

今の声に歌いやすい曲を作りがちになったり。

でもスピッツの場合は、

その瞬間が割と真空パックされているというか。

とはいえ魔物じゃないんだから歳はとるし、

「変わらなさ」に幻想を抱きすぎては

いけないと思ってはいる。

 

例えば今のマサムネさんに

隼~三日月ロックの時のような

ザラザラしたハスキーさは

確かに最近は感じられないけれど

(これがまた位色っぽいんです)

インディゴ地平線、サンシャイン、

魔女旅に出る、ハチミツ

なんかを歌うときの透明感は

ほとんど変わらないというか。

逆に、ヒビスクスとか歌ウサギの方が難しそう?

 

スピッツが古くならないのは

歌詞やメロディのみずみずしさだけでなく

本人たちが「憑依型」ではなくて

語り部型」だからだと私は思っていて。

時代が変わって心境が変わっても

なるべく装飾せず淡々と伝える。

表情一つ、動作一つ過剰に演じることなく

本当に淡々とステージに立つ。

歌詞の解説をあまりしないことと同様、

世界観を押し付けすぎないことで

受け取る私たちに余白を与えてくれて

そこに私たちの世界を書き込ませてくれる。

だからスピッツは何年たっても

「現在地」にハマるのだと。

 

改めてその枯れない泉に手足を浸けることができた、

スカンジナビアロック大陸。

以下、その大冒険について。

 

※セットリスト記載しています※

 

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NXAが見せた「肯定」と「否定」

NXAは凄くいいツアーだ。

回を重ねるごとに、

正確にアップデートされている。

 

Fighting NICOが怒りの顔をした不安

だったとしたら、

NXAは、不安の顔をした怒り

なのだと思う。

 

NICO Touches the Walls

常にあらゆる二面性と対峙してきた。

「内と外」「理想と現実」

「過去と未来」「具現と抽象」

極端に遠かったり、

すぐ隣り合わせだったりする「それ」を

落とし込むためにとった

ファイティングポーズ。

私はFighting NICOが大好きだった。

たったワンフレーズで

「闇」から「光」に変えた姿に震えた。

胸が焦げる音、

目がつぶれそうな光、

残酷な美。

これがNICO Touches the Wallsだと

結論付けてしまいたいほど。

 

なのに、今はNAを掛けて、

ツアーを回っている。

私が「これぞ」と思った彼らの姿は

すでに一部破壊され、

進化、再生し始めている。

 

NXA、戸惑う機会も与えられない隙の無さ。

はしゃぎすぎてしまうのだ。

今までにないほどに。

いいのか、こんなに楽しくて。

大丈夫なのかこれから、と不安になる。

 

私にとってNICOはずっと

不安を投影する壁だったから。

NXA、破壊と再生のためのステージ。

2時間、私の目の前で渦巻いているのは、

「完成された闇」と「生きた屍」なのか。

 

「自由に踊って」

「名前を呼びたかったら呼んで」

「いいプレイには反応して」

「歌いたかったら歌えばいい」

 

こういうことは今まで

そんなに言葉にされることが無かったし、

それを良しとする

バンドなのか否かもわからなかった。

 

私は、ニワカ~で起こるあの手拍子が嫌い。

することが無いからしているみたいで、

みんながするからするみたいで嫌だった。

THE BUNGY天地ガエシのように、

アーティスト側から

煽られているのは好きだけど。

 

「自由に」というのは、

「手をたたいてもいい」という肯定であり、

「本当にあなたがそうしたいのなら」

という否定でもある。

 

すべての悩めるお客さんを

救ったのではないかな。

少なくとも私は気持ちが楽になったかな。

 

体に入り込んだ感覚そのままに、

動いてほしいんだろう。

「VIBRIO VULNIFICUS」の症状も、

FUNNY KILLER」の副作用は人それぞれだ。

 

 

バンドが、曲が、ファンが

作り上げてきた「カタチ」を一度破壊して、

今一度問いたいのだろう。

NICO Touches the Walls」のセンスを。

 

なんて“捻り”の効いたツアーなんだNXA

でも、考え方はいたってシンプル。

「ひねくれることにまっすぐであること」

 

ほらまた、真逆のものを二つ並べている。

 

あなたたちは本当に、本当に、

センスがいいよ。

Future Dance Tour 01〜04

「なんだ、元気そうじゃねーか大阪!

心配しちまったよ!」


シンペイさんのこの一言で、

熱と緊張感で破裂しそうだった会場が

一斉に深呼吸をする。

新鮮な空気を手に入れてステージに

再び目をやると

明るく、優しい顔をした4人の姿。

ストレイテナー

なんてかっこよくてずるいのか。

地球を救いに来たヒーローかと思った。



時間を少し戻して、

開演前のアナウンスを思い返す。

「先日発生した

大阪府北部を震源とする地震に伴い、

アナウンスさせていただきます。

本公演中に・・・」


暗転を待つのみとなった会場の空気が

一瞬ピリッとする。

あっという間に日常に戻っても、

あの時感じた危機感は

誰しもが共有しているのだと思った。



ステージには真っ白の布が下されていて、

オープニングへのただならぬ期待が

胸の中でもはためく。

ほんのひと時、

この瞬間以外のことは忘れましょう。



定刻。そして暗転。



01Future Dance


幕の向こうで、

4人の影だけが映っては消える。

1人ずつ、2人ずつ、4人と幻想的に。

想像するに容易い4人の姿を

早くこの網膜に映したいじれったさと、

幕が下りたら始まってしまう

もどかしさで何度も手を握りなおす。

サビに差し掛かり、

その隔たりが一瞬にして消える。

「今ここがいつどこかなんて」

どうでもいいや。

ストレイテナーと客席の

「間にはもう何も」ない。

踊り明かす準備ができた。



02Alternative Dancer


続けてきたか、

ああ、やっぱり憎らしい。

シンペイさんのドラムが花火の様に

激しく、特徴的なメロディラインを

担うホリエさんの鍵盤のそばで、

OJが細やかなカッティングをする。

彼のギターを弾く様は、

どうしてあんなに繊細なのだろうか。

細かい糸を織るようにして

物語の輪郭を描いてく感じ。

ファッション無頓着。

なんなら見た目全然小奇麗じゃない。

のに、ずっと見ていたいくらい

カッコイイと思わせる不思議。



03DSCGRPHY(DECADE DISCO MIX

後ろから人が流れ込んできたことに

数秒気づかず

気づけばとっさに柵を掴んでいた。

ほんと危ない。

サッカーだったらレッドカード。

体制を立て直して、

一気に密度を増したステージ前を見る。

私、Lightiningの次に

DISCOGRAPHYが好きなんです。

でも今回アレンジされた

DECADE DISC MIX

そこまで聞き込んではいなかった。

ところが、なんだろうかこの近未来感。

Future Danceから

Alternative Dancerときて、

ここにこの曲がこのアレンジで

無かったとしたら何が正解なのか。

しっくりきすぎて全面降伏。

この為のDISCO MIXかと思う程。

好き!という思いのままに踊れば、

すぐに終わりが来て。

I SING IT OUT SHOUT IT OUT 

PLAY MY GUITER

というフレーズをホリエさんと

一緒に口ずさみ(声は出さない)

最後はOJが最後の一音を弾いた手が

空中で止まるのを見る。

ああ美しい所作。

もう何かの家元になってほしい。

始まって3曲。

バケモンかこの人たちは。

私のチープなストッパーは

いとも簡単に壊れた。



04Superman Song

「I wanna be your Superman(僕は君のスーパーマンになりたいんだ)」

いや、もう十分スーパーマンです。

いいえ何ならさっきバケモノって言いました。

冒頭3曲、世界観たっぷりに始まったので

雰囲気としては少し変化を感じる曲調ではあれど、

言っていることは同じ。

Dance dance dancing your way .

Singing something stupid

ってところがとっても好き。

いつのまにか楽しく愚かに両手を挙げて

誰でもない自分の体で感じる興奮。

これだからライブってやめられないよな。






05〜は書けたら書きます。

OJの話しかしないと思うけど笑


Future Soundtrackとは、時を超えてプロローグとエピローグを繰り返す、実験的なアルバムである。

 

Future Soundtrack(初回限定盤)(DVD付)

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勢いで書いたので、時の流れとはなんなのか。きみの正体はなんなのか。を解明するようなものにはなってないけど。あくまで私のファーストインプレッションだけを落とし込んだ雑文。

「きみ」が「愛する人」だけでなく、もっと多くの意味を持っていることは分かっている。

でも「愛する人」で話を進めないとたった一回通して聞くという事が困難を極めそうだったのでそこに絞りました。

 

 

 

 

 

Future Dancer

ジュワッと無音の奥から湧き上がってくる、近未来感あるイントロ。

宇宙船のライトが点滅しているかのようなSF感の上で唯一“生”を感じさせるボーカル・ホリエアツシの声。過去と未来の間なのか、それが果たして今を指すのか。軸を捉えることに気を取られていると、このスローモーションの世界に置いて行かれそう。サビ前、ホリエさんの声と交わるOJのギターは、サーチライトの様に世界を照らすけど、どこか物悲しくて。20年という時間の上に立った四人の後ろ姿が見えるような。それぞれの衣服が風に靡いている。表情は見えてこないが、きっと笑っているのだろう。いや、笑い飛ばそうとしているのかもしれない。このアルバムと、未来への幕開けに。

―――踊り明かそう 訪れる明日へ

 

タイムリープ

しかし、過去には戻れない、と歌ったはずの1曲目に続いて「タイムリープ」とは。踊り明かしていた(Future Dancer)はずなのに、夜眠って朝目覚めるだけの平凡な世界に突然放り込まれて呆然としてしまったのは私だけでしょうか。同じ瞬間は二度と来ないことを悟ったばっかりじゃないかホリエアツシ。どうした。ここで歌いだしのメロディを思い出す。ひなっちのベースがすごいから、という前評判。なるほど。眠気を覚ますように叩かれて、アンニュイな世界に沈みかけた瞳に光を戻してくれる。新しい街には~の所のコーラスが美しい。サビのドラムが強く鳴れば鳴る程、自問自答が加速するような。変えられない、繰り返すだけ。そして私はハッとする。Future Dancerのあの物悲しさの正体と、曲順の効果を思い知って。

―――ずっと前から知っていたのに

       あのとき気づけなかったんだ

 

After Season

シンペイさんのドラムが先導する疾走感がそうさせるのか、二人時代のような曲だ。ひなっちもOJも確かにそこにいるのに、ホリエさんとシンペイさんが向かい合って演奏している映像が浮かぶ。決して二人の友情がどうみたいな、ファン受けを狙った曲だとかそういうことが言いたいわけじゃない。でも、私は二人にしか分からない時期(season)を思ってしまったのです。最後の「season after season」を後ろで繰り返しているところなんて、二人が笑っているようにさえ思えるのです。これも一つの過去であり、また未来でもありますよね。

―――不確かな希望は言葉にできないまま

          散って 飛んで 行くんだ

 

 

Boy Friend

COLD DISCの流れを汲んだポップさ、「拒否してきたけどやっぱり俺たちはJ-POPだ」とゴッチとの対談での言葉が反芻してくるような歌詞だと思う。だけど「暗い」ではなくて「昏い」を使ってニュアンスを出してくるところが一筋縄ではいかせないホリエさんのインテリジェンスなところだと思っている。このアルバムはここまでの間ずっと「きみ」と「ぼく」との間には越えられないし変えられない時間(時空?)の問題があったけれど初めてここでそれが崩れる。そしてまた新しく意味を持たせる。せっかく清々しく歩き出せそうなのに、酔ったことを理由にしようとしている所が愛くるしくて憎いです。

―――めずらしく酔った帰り道は

    重い方の荷物をぼくが持ってあげるから

          空いた手をそっと繋いで歩こう

 

灯り

ハウステンボスに行きたくなりすぎるので割愛。

(嘘です。このアルバム内で世界観として逸脱はしていないけれど番外編だと思うので)

 

もうすぐきみの名前を呼ぶ

一番気になっていた曲です。ホリエアツシは「名前」というワードを多用するから。恐らく、彼にとって「名前」を知ったり、呼んだりすることは「愛してる」を言うに等しいことなのだと思う。だとしたらこんな堂々としたタイトル、どんなラブソングなのだろうかと。最初に聞いた感触は、とっても混乱を覚えた。「時の流れの外にいるきみ」とは?さっきやっと手繋いだじゃないか。でも落ち着いて聞いてみるとわかりました。一番では「昨日までとは違う1日」を、最後は「昨日までとは違う毎日」を歌っている。「きみ」と「ぼく」はちゃんと一緒にいた。よかった、前に進んでいるようです。ライブで聞くときはきっと、ドラムの音がより大きく聞こえるだろうから、その辺の違いが楽しみ。

―――美しい言葉を見つけ出すだろう

 

The Future Is Now

ここにきてやっと、ちぐはぐに現れてループしては「ぼく」を悩ませていた過去・現在・未来が正しく美しい時間軸に並ぶんじゃないかと思う。どうしようもできない概念に苦しんだけれど、理解し受け入れて初めて「ぼく」の世界に作用する。「エピローグに書き残した文が次への前書きになる」って歌詞凄くないですか?後書きがプロローグになるって?それって「過去も変えてく未来」じゃないですか?ここに至るまでの6曲がもしこれまでのストレイテナーのエピローグで、7曲目を挟んだ瞬間にこれからのストレイテナーの「プロローグ」になっているとしたら、それはこのアルバムの象徴的瞬間。全体に仕掛けられた過去・現在・未来は一年後も十年後も褪せることなく繰り返すのだ。なんてことだろう。変わらない名作はあるが、これは変化に寄り添っていく名作だ。実験的な要素もあるかもしれないけれど、すごいエネルギーを持っていると思う。興奮が収まらないです。

―――過去を変えてく未来を 

      いつかきっと分かるんだ

            その未来は今なんだ

 

Superman Song

難しい話は一旦終わりにして、楽しもう。概念で凝り固まった頭と体と心を解すやり方は人それぞれ。そんな開放感とコンパクトなサイズ感にまとまったいい曲。何も考えなくていい。今はこのエピローグでありプロローグである瞬間を楽しもう。

―――Singing something stupid.

         Because we are young tonight.

 

Last Stargazer

天文学的な人を指すよりも、夢想家的なニュアンスなのかな。僕の戯言を聞いておくれよ、という具合に。忘れてはならないのは、「Last」だという事。やっと「きみ」との時間を手に入れた。もう、きみの名前だって呼べるし、一緒に踊れるし、何より同じ時の上に立っている。さっきは「君のスーパーマンになりたい」なんて言っていたけれど。最後の戯言を終えたら、後は「I swear I’ll love you forever and ever」なのでしょう。

―――Every moment seems like an eternity.

            Just wanna have you here.

 

月に読む手紙

「同じ時が流れてるのさ」と歌っているので、ここで立ちはだかるのは物理的な距離。それを埋められるのが言葉や思いだとしたら、と考えさせられる。なんせもう「叫びたい」らしいので。ただ「さよなら いつか分かるときがくる」がどこに掛かってるかを解釈しきれなくなる。曲単体でみればそんなに引っかからないんだけど。ただ私としては、丸く収まりかけたところに少しの不穏さを残すのもアリ。もしかしたら結局、すべてを理解して、手に入れても、また「タイムリープ」してしまう運命なのかもしれないし。でも今が愛おしければいいと思います。

―――それでもいつか傷は癒えるだろう

               忘れてもいいよ

 

Our Land

物語の輪郭を描き出すベースラインがエロい。あえて歌詞も少ないんだろうけど、言葉足らずであればあるほど、OJがそれを補うように本領を発揮していてバランスが絶妙。一瞬で終わったように思ったが、意外と4分00秒もある。完全に聞き手に物語を委ねているかと思うほどの余白。やはり「きみ」と「ぼく」が同じ時を生きられるのには制約があるのだろうか。「きっと何処かで待ってて」が切ない。「きみ」と「ぼく」にとって「未来」は、Our Landにたどり着くことなのかもしれないけれど、たどり着けないから互いをより愛おしく思うのかもしれません。

―――アイシテ ウマレテ ハジメテ カナシイ

 

 

 

 

Future Soundtrackとは、時を超えてプロローグとエピローグを繰り返す、実験的なアルバムではないかと思う。一度再生ボタンを押して、このアルバムを知った瞬間から、必ず来る未来へ作用し続けるサウンドトラックなのだと思います。

 

以上。

音楽文

ongakubun.com

レディクレでのimage trainingのことを

しっかり書き残しておきたくなりました。

 

ブログに書いてもよかったし、Twitterに垂れ流してもよかったんだけど

いつまでもいつまでも残るように

自分の手の離れたところに置いておきたいと思って

音楽文に投稿することにしました。

 

思い立ったのが多分、1/1の23:00くらいだったか。

スマホのメモ帳に一気に書いて、

翌日読み返して修正して、その日の内に投稿した。

勢いすぎたと思うけど、掲載されることを狙ってるかと

自問したときそれはなんか違う気もしてきて。

どういう基準で評価されたのかはあんまりよく分かっていないけど

勢いで書いたおかげで鮮度だけはあったのかな・・・笑

あとはへたっぴ。あの後書き直したいところいっぱい見つけた。 

 

基本的に言いたいことはブログとかtwitter

ひっそりこっそりやっているので 

多分、この先もう音楽文に投稿することはないだろう。

いい思い出になったし、あの日の記録が残せてうれしい。

いつか私がtwitterやこのブログを辞めてしまう日が来ても、

音楽文が消滅しない限りは存在し続けてくれる。

ありがたい。

 

いいステージ、アクトは必ず歴史になる。

歴史は、紡いで残して伝聞されていくものであってほしい。