NICOとスピッツと私と

NICOが先か、Spitzが先か。

NICOが掲げた「愛」の意味

 

 

原点回帰

 

 

私も良く使ってしまう言葉である。

 

自分がファンになった頃を

思わせる楽曲を出してくれた時や、

初期の楽曲を中心に

 

セットリストが構成された時、

そう思ってしまうのは無理もないと思う。

 

発信する側と受信する側で

差異があるのも含めて、

思い出や感傷に音楽が紐づくと

 

自分だけの価値観になってしまう。

もう一度言うが、仕方がないと思う。

 

彼らが存在意義を証明する術を模索した時期を

私はどうにもこうにも忘れることはできないし

好きの土台はどれである。

何度崩壊したって、きっと更地にはならない。

 

QUIZMASTERを構成する楽曲たちの中には、

どこか懐かしさを感じる。

 

しかし、確実に進化をしている。

今彼らは確かに、愛を歌っている。

 

安い感想文のようなラブソングでもなければ、

文学的かつ官能的な知性漂う愛の歌でもない。

もっとはっきり言うならば、

君 対 僕

の世界ではなく、

NICO 対 n。

 

歌を、曲を、仲間を、ファンを愛し、

偉大なる先人達を尊敬すること。

それが今の

NICO Touches the Wallsが見せる愛だと思う。

 

「思いが歪む前に、愛を歌わなくちゃ」

に対義語があるとしたら

「何世紀遡ったって全ての始まりは愛」

なんじゃないかと思う。

愛は不変だとしても、

後ろから見るか前から見るかで学ぶことが違う。

 

ニワカ雨ニモ負ケズをリリースする前、

僕らの新しいアンセムにしていきたいと言っていた。

私はそれを、ものすごく単純に、

THE BUNGYのポジションを担うことだと受け取った。

NICO Touches the Wallsのライブを象徴する曲は

これしかないと思っていたから。

 

でもその後、

天地ガエシからFunny Side Up!に至るまで

ライブを盛り上げる曲はたくさん生まれた。

 

今になって思う。

「愛を歌わなくちゃ」は、

 

気づきであり、激励であり、宣言だった。

国ならば国歌だ。

 

彼らにとって愛とは、尊敬と憧れだと思う。

目新しいことには目もくれず、

 

ずっと変わらない良質なものを

自分たちらしく踏襲していくこと。

未開の地を切り開くのも大変だが、

 

これはこれで苦労の連続だとは思う。

目立たないし、やり方としては地味だし、

アイコンにもならないだろうが、彼ららしい。

 

正直、仕掛けられた謎だとか、

クイズだとかについてはよくわからない。

だけど、MACHIGAISAGASHIは確実に、

ACO Touches the Walls

NICOのお遊びやおまけでないと証明した。

リリース前の曲をエレキでもアコでも行って、

先入観無しに両方の魅力を伝えることで。

NICOが高さなら、ACOは厚みで、壁なんだよと。

 

私がライブから得たものがそれならば、

アルバムから受け取るのは重い重い愛がいい。